2009年01月29日
友へ
これは、友へ贈る言葉です。
友は所持講習の申し込みまで来た。
しかし、所持するまでには、実にたくさんの困難があるものだ。
私にも困難はあった。
両親、妻、妻の両親・・・・
最低でも、親族の承諾無しに、所持は出来ない。
友はその第一の困難にぶつかった。
私はこれを予期していたのだが、
あえてそれに対しての的確なアドバイスは行わなかった。
「同居する親は大丈夫か?」
そんな言葉は掛けた。
友から返ってきた言葉は大丈夫であるとの言葉であった。
私はその時に、そんなに簡単にいったのだろうか・・・と、
疑問は浮かんだが、それらの困難も所持が許される者には
解決するだけの人間的な能力や、行動力、そして日頃の人間性などが求められる。
スムーズなのは、友は日頃から信頼された、一人前の成人であるという
周囲の判断なのだろうと考えた。
実は私は、所持許可講習を受けてから、実に2年間もこの困難に立ち向かった
苦い記憶があるのだ。
表向きは、仕事が忙しいとか、気に入った中古銃が見つからないからと言っていたが、
最初に自分の両親を説得できなかったのだ。
その時の話を披露することで、友が何かを掴んでくれたら・・・という思いで
恥を忍んで書き留めようと思う。
友は所持講習の申し込みまで来た。
しかし、所持するまでには、実にたくさんの困難があるものだ。
私にも困難はあった。
両親、妻、妻の両親・・・・
最低でも、親族の承諾無しに、所持は出来ない。
友はその第一の困難にぶつかった。
私はこれを予期していたのだが、
あえてそれに対しての的確なアドバイスは行わなかった。
「同居する親は大丈夫か?」
そんな言葉は掛けた。
友から返ってきた言葉は大丈夫であるとの言葉であった。
私はその時に、そんなに簡単にいったのだろうか・・・と、
疑問は浮かんだが、それらの困難も所持が許される者には
解決するだけの人間的な能力や、行動力、そして日頃の人間性などが求められる。
スムーズなのは、友は日頃から信頼された、一人前の成人であるという
周囲の判断なのだろうと考えた。
実は私は、所持許可講習を受けてから、実に2年間もこの困難に立ち向かった
苦い記憶があるのだ。
表向きは、仕事が忙しいとか、気に入った中古銃が見つからないからと言っていたが、
最初に自分の両親を説得できなかったのだ。
その時の話を披露することで、友が何かを掴んでくれたら・・・という思いで
恥を忍んで書き留めようと思う。
私の親類には、酒を飲むと暴れ出す叔父がいた。
叔父は割と若い頃から、山関係の仕事に就いており
自分の山も持っていた。
銃を持とうと思うだけの背景が備わっていた。
しかし、仲間と酒を酌み交わしていても、急に怒り出したり
夫婦げんかで、それを顕示したりして、私の父を始めとして
多くの親類が仲裁に駆けつけたものである。
そんな経験をした両親は、私が所持することを伝えたときに
真っ先に、叔父のことを出して、私の事を心配した。
酔って自分を見失うようなことになって、銃をちらつかせただけでも
銃刀法違反なんだぞ、同時にお前は職を失い、家族を迷わす事になっても良いのか?
これが最初の言葉だった。
銃を持ってお前は何をしたいんだ?生き物を殺めれば、まともな死に方は出来ないぞ!
これが第2の言葉だった。
家に窃盗犯が侵入して、銃を奪われ、お前の銃で人様が殺されたら、お前もただじゃすまないぞ!
第3の言葉である。
他にもたくさんの言葉と、絶対に許さない姿勢を貫かれた。
母は特に怯えていた。まるで私が殺人犯であるかのような目で語りかけられた。
そんな子にそだっちゃったんだね・・・・
今思えば、そんな些細なことも説得できなかっただな俺・・・と思う。
その時は、もう一度よく考えてみる。でも、講習の申し込みしちゃったから、
講習だけは受けてくるとしか言い返せなかったように記憶している。
というのも、自分の考えの半分も伝えずに、無理強いを避けたのだ。
正直、その時に諦めたのである。
でも、講習には仲間と行く約束もしていたので、
仲間を裏切ることも出来ないし、講習へ行く算段は整っていた。
仲間は狩猟免許の申し込みと勉強も始めていたが、
私は家族の反対で・・・とは言えずに、仕事が忙しいと断った。
講習と言っても、最後には試験がある。
この合格率は、私の方面本部は道内でも最も合格率が低い。
その時によってバラツキはあるようだが、最高でも6割に満たない。
受けるからには勉強しておこうと思い、勉強をしたのは言うまでもない。
私の中では、子供もまだ小さいし、そのうち所持できれば・・・と
諦めたままの講習となった。正直、落ちても良いかな・・・なんて思っていたが
無事に講習終了。
私はそれから釣りに狂った。
週末はほとんど家を空けて、車での寝泊まりがほとんどとなった。
両親は呆れていた。
お前は遊ぶことしか考えつかないのか?
尖った言葉をたくさん浴びたが、俺は良い仕事をするために
たくさん遊んでいるんだ。女遊びや夜遊びをしている訳じゃないし、
ギャンブルに狂って、パチンコ屋に入り浸るよりマシだろうと、言い返したものだ。
当時を振り返ると、両親は明らかに高いところから物を言っており、
私はいつも反発していたように思う。
それでも、両親と自分でで遠く離れた妹の住む町へ、運転手として行く機会が何度かあった。
その道中で、お前は銃を諦めたのかと聞いてきた。
私はその問いには答えないことで、意志を表示したつもりだった。
しつこく銃のことを聞かれて、私は初めて重い口を開いた。
諦めたわけではないし、無理に今すぐ所持したいとも考えていない。
周囲が理解してくれるまで、認めてくれるまで・・・と考えていると。
あちらの両親には話したのか? 父がボソッと言った。
最初は「頼むから止めてくれ~」と言っていたけど、
事故だけは起こすなよと言われていると答えた。
そうだな、交通事故を起こされて死なれるより、銃で死なれた方が俺は格好が付くな!
父は目の前にそびえる昭和新山の見える、高速のサービスエリアで
タバコをふかしながら言った。
この言葉は、父にとって承諾したという意志の表れであった。
俺は悟られないように、こみ上げた嗚咽を飲み込んだ。
俺さ、この山に初めて連れて行ってくれたことを、今でも鮮明に覚えているよ
そして、夫婦喧嘩して母が実家に俺や妹を連れて帰った最中に、
噴火があって、1週間仕事で帰ってこなかったよな・・・と言葉を掛けた。
その時に、父も嗚咽を飲み込んでいる事を悟った。
それから、父は俺を何かに付けては頼り、無理難題を押しつけてきた。
上から物を言う態度も無くなった。
あんなに反対していた、父の選挙の出馬の時も、
以前のように、俺は出るからな、手伝えよとは言わず、
これで最後にするから、出馬させてくれと言い
その選挙は、あり得ないくらいの僅差で落選した。
このころから、実は体調を崩していたのだと、亡くなってから気がついた。
奇しくもこの投票日に、私は狩猟免許を取ったのである。
それから、実技教習を受け、安い中古銃を手にした。
初めての猟期は、ベテランに付いて猟に行き、
分け前分の鹿肉をもらったが、それを半分両親に渡した。
食べなかったら捨てても良いけど、置いていくか? と言うと
父は置いていけ、と言った。
それから、翌年も、まだ鹿は取れないのかとか、
大和煮の缶詰はもうないか?とリクエストをもらった。
3回目の猟期を目前に、父は他界した。
日本の風習というか、人間性で、
危ない物や臭い物を遠ざけ、蓋をすることが正しいとする文化だが、
私は、だからこそ危ない物を持つ人間には、
それだけの行動力や人間関係を築くことが出来る資質が求められると考える。
友のぶつかった困難は、そう言う風土において自然の現象だ。
所持者なら多かれ少なかれ、通る道であるとさえ思う。
友は独身だから、自分の両親の承諾だけでよい。
私はその倍だった・・・・。
意気消沈している友に必要なことは、諦めることではなく
例え所持できない結果になろうとも、これを機に両親との絆を深めるきっかけとして
また、反対者を逆に応援者に変えれるような人間性を磨く場として
逃げることも諦めることもせず、毅然と立ち向かって欲しいと思う。
例えどんなに時間が掛かろうとも、その時間は決して無駄にはならない。
そして、生涯続けられる趣味、これに変わる趣味は無いことを
もう一度考えてみて欲しい。
銃を通さずとも君は友だ。しかし、同じ困難に立ち向かった仲間として
君とはこの困難を、後の人生で酒を酌み交わし笑い合いたいと考える。
君は一人ではないんだ。俺も一緒に君の受けているダメージを
自分のことのように思うのだから。
叔父は割と若い頃から、山関係の仕事に就いており
自分の山も持っていた。
銃を持とうと思うだけの背景が備わっていた。
しかし、仲間と酒を酌み交わしていても、急に怒り出したり
夫婦げんかで、それを顕示したりして、私の父を始めとして
多くの親類が仲裁に駆けつけたものである。
そんな経験をした両親は、私が所持することを伝えたときに
真っ先に、叔父のことを出して、私の事を心配した。
酔って自分を見失うようなことになって、銃をちらつかせただけでも
銃刀法違反なんだぞ、同時にお前は職を失い、家族を迷わす事になっても良いのか?
これが最初の言葉だった。
銃を持ってお前は何をしたいんだ?生き物を殺めれば、まともな死に方は出来ないぞ!
これが第2の言葉だった。
家に窃盗犯が侵入して、銃を奪われ、お前の銃で人様が殺されたら、お前もただじゃすまないぞ!
第3の言葉である。
他にもたくさんの言葉と、絶対に許さない姿勢を貫かれた。
母は特に怯えていた。まるで私が殺人犯であるかのような目で語りかけられた。
そんな子にそだっちゃったんだね・・・・
今思えば、そんな些細なことも説得できなかっただな俺・・・と思う。
その時は、もう一度よく考えてみる。でも、講習の申し込みしちゃったから、
講習だけは受けてくるとしか言い返せなかったように記憶している。
というのも、自分の考えの半分も伝えずに、無理強いを避けたのだ。
正直、その時に諦めたのである。
でも、講習には仲間と行く約束もしていたので、
仲間を裏切ることも出来ないし、講習へ行く算段は整っていた。
仲間は狩猟免許の申し込みと勉強も始めていたが、
私は家族の反対で・・・とは言えずに、仕事が忙しいと断った。
講習と言っても、最後には試験がある。
この合格率は、私の方面本部は道内でも最も合格率が低い。
その時によってバラツキはあるようだが、最高でも6割に満たない。
受けるからには勉強しておこうと思い、勉強をしたのは言うまでもない。
私の中では、子供もまだ小さいし、そのうち所持できれば・・・と
諦めたままの講習となった。正直、落ちても良いかな・・・なんて思っていたが
無事に講習終了。
私はそれから釣りに狂った。
週末はほとんど家を空けて、車での寝泊まりがほとんどとなった。
両親は呆れていた。
お前は遊ぶことしか考えつかないのか?
尖った言葉をたくさん浴びたが、俺は良い仕事をするために
たくさん遊んでいるんだ。女遊びや夜遊びをしている訳じゃないし、
ギャンブルに狂って、パチンコ屋に入り浸るよりマシだろうと、言い返したものだ。
当時を振り返ると、両親は明らかに高いところから物を言っており、
私はいつも反発していたように思う。
それでも、両親と自分でで遠く離れた妹の住む町へ、運転手として行く機会が何度かあった。
その道中で、お前は銃を諦めたのかと聞いてきた。
私はその問いには答えないことで、意志を表示したつもりだった。
しつこく銃のことを聞かれて、私は初めて重い口を開いた。
諦めたわけではないし、無理に今すぐ所持したいとも考えていない。
周囲が理解してくれるまで、認めてくれるまで・・・と考えていると。
あちらの両親には話したのか? 父がボソッと言った。
最初は「頼むから止めてくれ~」と言っていたけど、
事故だけは起こすなよと言われていると答えた。
そうだな、交通事故を起こされて死なれるより、銃で死なれた方が俺は格好が付くな!
父は目の前にそびえる昭和新山の見える、高速のサービスエリアで
タバコをふかしながら言った。
この言葉は、父にとって承諾したという意志の表れであった。
俺は悟られないように、こみ上げた嗚咽を飲み込んだ。
俺さ、この山に初めて連れて行ってくれたことを、今でも鮮明に覚えているよ
そして、夫婦喧嘩して母が実家に俺や妹を連れて帰った最中に、
噴火があって、1週間仕事で帰ってこなかったよな・・・と言葉を掛けた。
その時に、父も嗚咽を飲み込んでいる事を悟った。
それから、父は俺を何かに付けては頼り、無理難題を押しつけてきた。
上から物を言う態度も無くなった。
あんなに反対していた、父の選挙の出馬の時も、
以前のように、俺は出るからな、手伝えよとは言わず、
これで最後にするから、出馬させてくれと言い
その選挙は、あり得ないくらいの僅差で落選した。
このころから、実は体調を崩していたのだと、亡くなってから気がついた。
奇しくもこの投票日に、私は狩猟免許を取ったのである。
それから、実技教習を受け、安い中古銃を手にした。
初めての猟期は、ベテランに付いて猟に行き、
分け前分の鹿肉をもらったが、それを半分両親に渡した。
食べなかったら捨てても良いけど、置いていくか? と言うと
父は置いていけ、と言った。
それから、翌年も、まだ鹿は取れないのかとか、
大和煮の缶詰はもうないか?とリクエストをもらった。
3回目の猟期を目前に、父は他界した。
日本の風習というか、人間性で、
危ない物や臭い物を遠ざけ、蓋をすることが正しいとする文化だが、
私は、だからこそ危ない物を持つ人間には、
それだけの行動力や人間関係を築くことが出来る資質が求められると考える。
友のぶつかった困難は、そう言う風土において自然の現象だ。
所持者なら多かれ少なかれ、通る道であるとさえ思う。
友は独身だから、自分の両親の承諾だけでよい。
私はその倍だった・・・・。
意気消沈している友に必要なことは、諦めることではなく
例え所持できない結果になろうとも、これを機に両親との絆を深めるきっかけとして
また、反対者を逆に応援者に変えれるような人間性を磨く場として
逃げることも諦めることもせず、毅然と立ち向かって欲しいと思う。
例えどんなに時間が掛かろうとも、その時間は決して無駄にはならない。
そして、生涯続けられる趣味、これに変わる趣味は無いことを
もう一度考えてみて欲しい。
銃を通さずとも君は友だ。しかし、同じ困難に立ち向かった仲間として
君とはこの困難を、後の人生で酒を酌み交わし笑い合いたいと考える。
君は一人ではないんだ。俺も一緒に君の受けているダメージを
自分のことのように思うのだから。
Posted by T主 at 19:31│Comments(6)
│銃
この記事へのコメント
小さな頃から見ていた銃。
親父のマネをしながら、いつかは俺も!って、思ってた記憶が・・・
今となっては、そんなことも忘れ、T主さんが仕留めてくれるだろうって、期待してるくらいだが、そんな苦労があったんだなぁ
親父、頑張ってるなあ~
親父のマネをしながら、いつかは俺も!って、思ってた記憶が・・・
今となっては、そんなことも忘れ、T主さんが仕留めてくれるだろうって、期待してるくらいだが、そんな苦労があったんだなぁ
親父、頑張ってるなあ~
Posted by 陸太郎 at 2009年01月29日 23:50
陸太郎 さん
陸太郎さんの父は、ベテラン精鋭チームの主軸ですから、彼無しでは猟はままならない状態だと思われます。
私も初めての猟期で、ベテラン精鋭チームにくっついて行き、みなさんにお世話になった時に、お父上が誰よりも早く、私の逃した鹿を仕留めてくれました。
遙か昔の「エレキギター=不良少年」
この図式で、世間は猟銃所持者を色眼鏡で見る傾向が強いので、
お父上もたくさん嫌な思いをしたことでしょう。
でも、市街地に熊が出たら、命を張って追い出してくれ~と民は泣きつくんですよね。この国のおかしな部分であり、悪しき習慣ですね。
それにお父上が銃を始めた頃は、1ドル300円時代でしたでしょうから、銃も消耗品も、まさに高嶺の花で、それらの道具を揃えるために、節約して貯金をしたとおもいますよ。貯金もせずに浪費している輩に、ねたまれやっかまれた時代も想像できます。
現代はそんな逆風にあえて身を置こうと考える人種は希少ですから、
中古銃も程度が良くて安く、1ドル100円を切る時代なので、新銃を輸入しても当時の1/3です。環境的には大変良くなっているんですがね・・・・
陸太郎さんの父は、ベテラン精鋭チームの主軸ですから、彼無しでは猟はままならない状態だと思われます。
私も初めての猟期で、ベテラン精鋭チームにくっついて行き、みなさんにお世話になった時に、お父上が誰よりも早く、私の逃した鹿を仕留めてくれました。
遙か昔の「エレキギター=不良少年」
この図式で、世間は猟銃所持者を色眼鏡で見る傾向が強いので、
お父上もたくさん嫌な思いをしたことでしょう。
でも、市街地に熊が出たら、命を張って追い出してくれ~と民は泣きつくんですよね。この国のおかしな部分であり、悪しき習慣ですね。
それにお父上が銃を始めた頃は、1ドル300円時代でしたでしょうから、銃も消耗品も、まさに高嶺の花で、それらの道具を揃えるために、節約して貯金をしたとおもいますよ。貯金もせずに浪費している輩に、ねたまれやっかまれた時代も想像できます。
現代はそんな逆風にあえて身を置こうと考える人種は希少ですから、
中古銃も程度が良くて安く、1ドル100円を切る時代なので、新銃を輸入しても当時の1/3です。環境的には大変良くなっているんですがね・・・・
Posted by T主 at 2009年01月30日 09:03
私のまわりにも、その様なことで所持を諦めた人も何人か居ますよ。
実際は結婚している人は、嫁さんの反対が多いみたい・・・。
私は運良くそんな問題とは無関係だったのですが(事情が事情だけに)、本家が良く思ってなかったみたいですね。
まあ、本家とはだいぶ昔に疎遠になっていましたしね。
実際は結婚している人は、嫁さんの反対が多いみたい・・・。
私は運良くそんな問題とは無関係だったのですが(事情が事情だけに)、本家が良く思ってなかったみたいですね。
まあ、本家とはだいぶ昔に疎遠になっていましたしね。
Posted by Deer hunter at 2009年01月30日 09:25
Deer hunter さん
友には諦めず挑戦してもらいたいですね。
取り巻く環境とか、家庭事情などを昔から知っており、
彼自身のためにも、目的に向かって困難を乗り越えるタフさや
敵対者をも身方に変えられる人間的な魅力を磨く
良い機会だと思うんです。
男 → 漢 に変わらなければいけない時が、男にはあるものです。
そして、その時に周囲は、一人前の男として認めてくれるものです。
侍である必要は無いでしょうが、『漢』でありたいと思います。爆
まあ、私などが語るのも烏滸がましいですが・・・・
当然、私も彼を見守りながら、その判断、一挙一動で評価は変わると
思います。
今回の行動には目を見張る物があっただけに、
粘り強く立ち向かって欲しいです。
友には諦めず挑戦してもらいたいですね。
取り巻く環境とか、家庭事情などを昔から知っており、
彼自身のためにも、目的に向かって困難を乗り越えるタフさや
敵対者をも身方に変えられる人間的な魅力を磨く
良い機会だと思うんです。
男 → 漢 に変わらなければいけない時が、男にはあるものです。
そして、その時に周囲は、一人前の男として認めてくれるものです。
侍である必要は無いでしょうが、『漢』でありたいと思います。爆
まあ、私などが語るのも烏滸がましいですが・・・・
当然、私も彼を見守りながら、その判断、一挙一動で評価は変わると
思います。
今回の行動には目を見張る物があっただけに、
粘り強く立ち向かって欲しいです。
Posted by T主 at 2009年01月30日 10:47
何度も、何度も読み返しています。
T主さんは、以前から自分にないもの・・・行動力と包容力そして洞察力を持っていて(まだまだあるんですが)、自分にとっては、すごく羨ましくもある、良い意味でのライバルだと勝手に思っています。
今回の件と言葉を頂いて、あらためて自分自身の弱さや欠如しているものが、見えてきました。
表向きは問題なくやってきただけで、実のところは人生の方向性すら見失って、本当に何をすべきなのか正直わからない5年間でした。
失ったものの方が多かった5年間だったかもしれません。
失われたものを取り戻そうと、人生に方向性を見出そうとして銃所持を思い立ちました。
銃を持つことによって、自分の弱さを諫め、自分の行動により明確な責任を課してみたいと思ったからです。
そして、自分の持ち合わせない魅力を持っている友に、少しでも追いつきたかったという部分もあります(恥ずかしくて言うつもりはありませんでしたが、言っちゃいます)
叱咤激励の友の言葉で、新たに銃所持への思いがより強くなりました。
そのためにも、現在の私の家の状況を変えていく気力も湧いてきました。
正直、何年いや何十年かかるか分かりませんが、諦めません。
T主さんの私に対する評価が変わろうが、今回の言葉には変わりはないはず。
嬉しい言葉でした、ありがとう。本当にありがとう。
T主さんは、以前から自分にないもの・・・行動力と包容力そして洞察力を持っていて(まだまだあるんですが)、自分にとっては、すごく羨ましくもある、良い意味でのライバルだと勝手に思っています。
今回の件と言葉を頂いて、あらためて自分自身の弱さや欠如しているものが、見えてきました。
表向きは問題なくやってきただけで、実のところは人生の方向性すら見失って、本当に何をすべきなのか正直わからない5年間でした。
失ったものの方が多かった5年間だったかもしれません。
失われたものを取り戻そうと、人生に方向性を見出そうとして銃所持を思い立ちました。
銃を持つことによって、自分の弱さを諫め、自分の行動により明確な責任を課してみたいと思ったからです。
そして、自分の持ち合わせない魅力を持っている友に、少しでも追いつきたかったという部分もあります(恥ずかしくて言うつもりはありませんでしたが、言っちゃいます)
叱咤激励の友の言葉で、新たに銃所持への思いがより強くなりました。
そのためにも、現在の私の家の状況を変えていく気力も湧いてきました。
正直、何年いや何十年かかるか分かりませんが、諦めません。
T主さんの私に対する評価が変わろうが、今回の言葉には変わりはないはず。
嬉しい言葉でした、ありがとう。本当にありがとう。
Posted by gehirn at 2009年01月31日 01:15
gehirn さん
どこも似たり寄ったりでしょ!
こんな破天荒な私でさえ、両親の猛反対があったんですよ。
私は嫌なことは忘れてしまう、都合のよい人間なので
どこ吹く風よ~に周りは見えているでしょうね。
でも、けっこう陰で努力というか、悪あがきする方なんですよ。
じつは、私の恥ずかしい話も、誰にも言ってませんし
こうして表に出すつもりもなかったのですが
私に出来ることは何か考えてみたところ
格好付けずに、赤裸々に語ることで
今一度、夢に向かって歩いて欲しいと思った次第です。
他の人間だったなら、私は表面上の体裁しか整えなかったでしょう
かといって、面と向かって話すのも非常に照れくさい訳です
ブログならきっといつか目にとめてもらえるだろう・・・そう思いました。
私達に残された時間は、決して多くはありません。
いつ病魔に襲われるか、不幸な事故に巻き込まれるか
明日をも知れない、はかない人生です。
私はガンを煩い克服したときから、夢に描いたことは
実現しなきゃ、もらった命の価値が半減すると強く思うようになり、
所持許可をすぐに取りに行きました。
でも、両親の反対は、そんな息子を思う親の気持ちとしては
これ以上ない愛情であると思ったので、
銃の所持は強引に進めなかったのです。
gehirn さんも両親の愛情だと思って、まずはその気持ちを受け止め
両親との関係をより濃密にして欲しいと思います。
居て当たり前の両親、私もそのうち親孝行すればいい!
と思っていましたが 、突然の父の死に見舞われました。
後悔しても始まりませんが、孝行しようと思った時に
即、行動に移しておくべきでした。
たかが銃所持、されど銃所持
どうせなら、この機会を生かすべきです。
何年かかっても、その時間は無駄にならないと
心から信じております。
自信を持って邁進されますよう祈念いたします。
どこも似たり寄ったりでしょ!
こんな破天荒な私でさえ、両親の猛反対があったんですよ。
私は嫌なことは忘れてしまう、都合のよい人間なので
どこ吹く風よ~に周りは見えているでしょうね。
でも、けっこう陰で努力というか、悪あがきする方なんですよ。
じつは、私の恥ずかしい話も、誰にも言ってませんし
こうして表に出すつもりもなかったのですが
私に出来ることは何か考えてみたところ
格好付けずに、赤裸々に語ることで
今一度、夢に向かって歩いて欲しいと思った次第です。
他の人間だったなら、私は表面上の体裁しか整えなかったでしょう
かといって、面と向かって話すのも非常に照れくさい訳です
ブログならきっといつか目にとめてもらえるだろう・・・そう思いました。
私達に残された時間は、決して多くはありません。
いつ病魔に襲われるか、不幸な事故に巻き込まれるか
明日をも知れない、はかない人生です。
私はガンを煩い克服したときから、夢に描いたことは
実現しなきゃ、もらった命の価値が半減すると強く思うようになり、
所持許可をすぐに取りに行きました。
でも、両親の反対は、そんな息子を思う親の気持ちとしては
これ以上ない愛情であると思ったので、
銃の所持は強引に進めなかったのです。
gehirn さんも両親の愛情だと思って、まずはその気持ちを受け止め
両親との関係をより濃密にして欲しいと思います。
居て当たり前の両親、私もそのうち親孝行すればいい!
と思っていましたが 、突然の父の死に見舞われました。
後悔しても始まりませんが、孝行しようと思った時に
即、行動に移しておくべきでした。
たかが銃所持、されど銃所持
どうせなら、この機会を生かすべきです。
何年かかっても、その時間は無駄にならないと
心から信じております。
自信を持って邁進されますよう祈念いたします。
Posted by T主
at 2009年02月01日 00:16

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