2008年08月04日
恩師という存在
息子の空手大会は1回戦で第2シード選手に
当たってしまい、結果は敗北だった。
内容的には、決してダメではなく、
前半戦は自分のペースで、練習してきた技を
全て出せたけど・・・
相手は試合慣れしているし、細かな部分の差で
敗れたのでした。
帰宅してから、ビデオで検証すると、
「次に当たったら絶対勝つ」
と、力強い台詞ですが・・・・
瞬発的な強さよりも、長く続けることの方が
もっともっと大切なんだと、息子を諭す。
この台詞を私に向かって投げてくれた
中学の時の担任が亡くなった知らせを
今日もらった。
こんな偶然もあるんだなと感じる。
私が小学生になった頃に、
祖父のところで、顔を真っ赤にして
酒を飲み交わす、酔っぱらいオヤジが
まさか、思春期の暴れん坊三昧の自分の
担任になるとは思いもしなかった。
彼は厳しい指導力で、いわゆる悪ガキ達を
常に震え上がらせてきたという、教師人生を
送っていた。そんな噂を成人してからも
ちょくちょく耳にしていた。
そしてまもなく定年退職した彼は、
いつも怖い表情という印象が強かったのに
たんなる釣り好きのおじいさんに見えたのは、
彼が退職して、私が現在の仕事に就いた報告を
しに北見市の家まで押しかけた時だった。
現在の私の個性を作り上げたのは、
まさしく彼の影響だった。
周りや流行に流されることのない判断。
常に自分という存在を意識し、
それが過剰すぎると周りから言われても
絶対に引かずに、自分を押せ!
長く続ければ、お前のような損な性格でも
きっと理解してもらえる・・・
彼は思春期の俺に対して、何千回も言った。
その言葉は、私の現在の子育てにも
脈々と生きている。
彼と出会うことがなければ、私はもっと
つまらない人生を送っていただろうと
簡単に想像がつく。
人生の崖っぷちというか、ターニングポイント
において、誤らずに生きてこれたのは、
彼の言葉をいつも心のどこかで信じていたから
そんな気がするのだ。
そんな彼の強靱な精神力には、いつも驚かされ
彼の死を信じることは難しい。
年齢的にも【大往生】と呼べるものであり、
彼は誰が何と言おうと、この世を去っている。
しかし、彼の言葉は今も私の中に生き続け
私が年を重ねるごとに、輝きを増してさえいる。
【教師】であり【恩師】と呼べる無二の存在であると
今更ながら気づかされる。
私は生前の彼と言葉を交わしたのは、
フライのタイイングについての話題であった。
私の就職(転職)を報告に行った時が
最後であったが、会話のほとんどは釣り談義
であった。
彼はテンカラ釣り師だったが、もう少し若ければ
フライロッドも振りたいんだと、目を輝かせて言った。
もう彼には会えないが、この先の人生で
また、彼の言葉に教えられ、救われることは
少なくなかろう。
おおよそ教師とは思えぬいでたちに、
飲んべえオヤジで怖い顔。
でも、彼こそが真の教師であると私は思う。
どんな悪ガキでも、自分流を貫き
人を育てようとしていた彼の姿を
真の教師だと感じる。
言葉使いもヤクザのような口悪オヤジ
だけど、他のどんな教師よりも
心は温かいことを、接した誰もが感じる。
誤解はいつかは解くことが出来る。
でも、自分の姿勢を崩せば、真の対話は
することが出来ないし、良い関係を築くことは
出来ないじゃないか!
嫌われても、自分というものを伝えろ!
みんなに認められる必要はない。
そんな彼の生き方を、私は真似ることすら
出来ずにいるが、ある種の憧れを持ち
実践していこうと思う。
「生きてるうちは、恩師なんて呼ぶなよ」
彼はテンカラを巻きながら言っていた。
今日から【恩師】と呼べる。
彼との出会いに感謝。
当たってしまい、結果は敗北だった。
内容的には、決してダメではなく、
前半戦は自分のペースで、練習してきた技を
全て出せたけど・・・
相手は試合慣れしているし、細かな部分の差で
敗れたのでした。
帰宅してから、ビデオで検証すると、
「次に当たったら絶対勝つ」
と、力強い台詞ですが・・・・
瞬発的な強さよりも、長く続けることの方が
もっともっと大切なんだと、息子を諭す。
この台詞を私に向かって投げてくれた
中学の時の担任が亡くなった知らせを
今日もらった。
こんな偶然もあるんだなと感じる。
私が小学生になった頃に、
祖父のところで、顔を真っ赤にして
酒を飲み交わす、酔っぱらいオヤジが
まさか、思春期の暴れん坊三昧の自分の
担任になるとは思いもしなかった。
彼は厳しい指導力で、いわゆる悪ガキ達を
常に震え上がらせてきたという、教師人生を
送っていた。そんな噂を成人してからも
ちょくちょく耳にしていた。
そしてまもなく定年退職した彼は、
いつも怖い表情という印象が強かったのに
たんなる釣り好きのおじいさんに見えたのは、
彼が退職して、私が現在の仕事に就いた報告を
しに北見市の家まで押しかけた時だった。
現在の私の個性を作り上げたのは、
まさしく彼の影響だった。
周りや流行に流されることのない判断。
常に自分という存在を意識し、
それが過剰すぎると周りから言われても
絶対に引かずに、自分を押せ!
長く続ければ、お前のような損な性格でも
きっと理解してもらえる・・・
彼は思春期の俺に対して、何千回も言った。
その言葉は、私の現在の子育てにも
脈々と生きている。
彼と出会うことがなければ、私はもっと
つまらない人生を送っていただろうと
簡単に想像がつく。
人生の崖っぷちというか、ターニングポイント
において、誤らずに生きてこれたのは、
彼の言葉をいつも心のどこかで信じていたから
そんな気がするのだ。
そんな彼の強靱な精神力には、いつも驚かされ
彼の死を信じることは難しい。
年齢的にも【大往生】と呼べるものであり、
彼は誰が何と言おうと、この世を去っている。
しかし、彼の言葉は今も私の中に生き続け
私が年を重ねるごとに、輝きを増してさえいる。
【教師】であり【恩師】と呼べる無二の存在であると
今更ながら気づかされる。
私は生前の彼と言葉を交わしたのは、
フライのタイイングについての話題であった。
私の就職(転職)を報告に行った時が
最後であったが、会話のほとんどは釣り談義
であった。
彼はテンカラ釣り師だったが、もう少し若ければ
フライロッドも振りたいんだと、目を輝かせて言った。
もう彼には会えないが、この先の人生で
また、彼の言葉に教えられ、救われることは
少なくなかろう。
おおよそ教師とは思えぬいでたちに、
飲んべえオヤジで怖い顔。
でも、彼こそが真の教師であると私は思う。
どんな悪ガキでも、自分流を貫き
人を育てようとしていた彼の姿を
真の教師だと感じる。
言葉使いもヤクザのような口悪オヤジ
だけど、他のどんな教師よりも
心は温かいことを、接した誰もが感じる。
誤解はいつかは解くことが出来る。
でも、自分の姿勢を崩せば、真の対話は
することが出来ないし、良い関係を築くことは
出来ないじゃないか!
嫌われても、自分というものを伝えろ!
みんなに認められる必要はない。
そんな彼の生き方を、私は真似ることすら
出来ずにいるが、ある種の憧れを持ち
実践していこうと思う。
「生きてるうちは、恩師なんて呼ぶなよ」
彼はテンカラを巻きながら言っていた。
今日から【恩師】と呼べる。
彼との出会いに感謝。
Posted by T主 at 21:55│Comments(0)
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