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Posted by naturum at

2006年10月18日

狩猟者登録証

登録証が交付された。
お決まりのバッチも交付され、
大日本猟友会からも帽子とベストが届き、
晴れてハンターとなった。
残された銃の確認をK察で行い、
保管場所を届ければ、もう面倒は無い。

これからはたくさんのハンター仲間と、
情報を共有し、先輩達の教えを素直に守り、
真の山歩きを実践したいと思う。

ラジオでは、北朝鮮が国連決議に対して
宣戦布告ととるという声明を出したようだが、
その矛先はやはりアメリカであり、日本である
ことは曲げられないだろう。
戦争放棄を謳う国でも、相手が攻めてくれば、
それは立派な戦争状態なわけで、
降参するか、自国を守るという戦いを強いられるか
どちらかに決まるだろう。

もし、この先戦争という渦中に巻き込まれたら、
このショットガンなどは、すぐに没収と言うことにも
なるのだろうか?
無秩序な社会が出現でもしたら、銃は盗難の心配
が尽きないだろう。
今までの面倒な申請許可行為を受ける度に、
自分の銃への考え方や、社会に置ける立場など
大変考えさせられた。持つからにはその使命も
受ける訳だが、使命とは『森の番人』という、
尊い使命を受ける事に尽きる。
乱獲や換金を考えた猟ではなく、あくまで自然の
恵みを享受する姿を猟に置いて実践したい。
初心を忘れぬよう書き記すことにしよう。

銃を持つと言う行為に対して、色々分かったこともある。
特に人間関係は、今まで見えなかったものが、
よく見えるようになった。
恐れる者もいるし、その人間性を否定するような輩も
登場してきたが、実にバカバカしい。
人間を殺めるのに、銃は必要ない。
武器としての捉え方しかできない人間に、いくら説明を
しても無駄だし、時間がもったいない。

価値観も変わったかもしれない。
一番大切なのは、自然のあるべき姿であると痛感
するようになった。とくに釣りをしていると、
間違った自然保護運動をしている実態が、
気になるようになった。外来種の魚を保護することが
本当の自然保護なのだろうか?単に自分の趣味である
釣りが楽しみたいだけではないだろうか?
本当は外来種を守ることよりも、在来種を繁殖させる
べきではなかろうか?そして、在来種が住める環境を
取り戻すことが、自然保護なのではないだろうか?

北海道の河川には、今の時期たくさんのトラウト、サーモン
が遡上してきている。でもそのほとんどは、人間が放流した個体
であるという事実を知った時に、虚しさを覚えた。
こんな虚空に満ちた世界を守ることが、本当に自然保護なのか?

『森の番人』であるからには、この問題について
目をそらす訳にはいかない。一人で出来ることは少ないが、
そういう番人仲間が増えれば…と願う。

お前はなぜ銃を持ったんだ?
戦争がしたいからか?
生き物を殺めたいからか?

人間が生きていくためには、他の生き物を殺め
そのエネルギーを摂取しなければならない。
自然界の寄生虫みたいな存在の人間。
狩りはその最も原始的な姿であり、
銃という道具を用いるか、罠という道具を用いるか
選択肢は多くはない。
狩猟者としての使命は、その行為をもって、
はじめて人間は生きさせてもらっている…ということを
伝えていくことではないのだろうか?
狩猟をしない人間も、いくつもの生き物の命を奪い、
生かさせてもらっているということを
我々人間が忘れないように、その原点を伝えること…

ハンターは残酷だ!
そういうあなたは、他の生物の生命を奪うことなく
生きることが出来るのか?
他人に残酷なことをさせているだけで、実はその
エネルギーを摂取しているではないか!と、
諭せる唯一の代弁者…それが狩猟者なのかもしれない。  


Posted by T主 at 00:07Comments(0)ハンティング

2006年09月24日

猟友会総会



↑が大型獣を倒す時などに使用される弾。
散弾銃なのに1発の弾頭。
当然、撃った時の反動も凄まじく
さぞかし非日常的な世界だろうと、
今は想像するのみ。

で、本日は猟友会の総会があり
新人紹介と言うことで呼ばれて行った。
顔なじみの人もいれば、知らない人もいる
近所の顔見知り(話したことはない)の
おじいさんも居たりして、総会後の懇親会で
ハンター談義に交わる。

銃の扱いだけではなく、スノーモービル
の操縦、ロープワーク、そしてなんと言っても
山を知らなければ、死に直結することなど
4駆での山遊びとは、スケールが違うと
感じさせられる。

撃った鹿は、斜面を転がり、深い谷底へ
たいていの場合は落ちるらしく、
それを回収に行くのが一苦労らしい。
しかもハンターは山歩きに長けており
自分達のようなひよっこは、着いていく
ことすら出来ない速さだと言っていた。
ハンターのほとんどは現役を引退した
いわばシルバー世代なのだが、
体力だけでは敵わない世界であろうことも
想像は容易い。

自分の他に今年は4名の入会があり
猟友会にとっても、何年かぶりの出来事で
まだ会費も取られていないのに、懇親会も
お呼ばれして、結構豪華なテーブルに
恐縮した。
新人の職業はまちまちで、公務員、土木作業員
建設系設計者、医者となっている。
この新メンバーの入会により、
猟友会の平均年齢が、全道平均よりも若くなり、
全道的に見ても、稀な現象が起こったらしい。
ハンター離れや、間違った自然保護意識で
野生獣や害鳥獣が増え、逆に尊い自然を破壊
している現代において、これからのハンターに
課せられた使命は、決して小さくない。

熊の出没などで、困った時だけの神頼みならぬ
猟友会頼みは、高齢者ハンターの増加により
この先どんどん出来ない世の中になろうとしている。
北海道ではないが、通学路にさえ熊が出て、
児童生徒が危険な目にあっている。
頼ろうとした時に、この過疎地でライフルをまともに
撃てるハンターが、居ないということも起こりうる。

全く関係のないと思われる空港も、
ハンター頼みしている。離発着時における
鳥の排除や、滑走路へ進入する動物の排除
これには、実弾ではなく空砲が使われるが、
これも猟友会で行っている。

北海道のエキノコックス蔓延防止にも、
猟友会の活動により一役買っていたりと、
猟友会の活動の恩恵を、一般市民は知らない
うちに与っていることなど、
総会の場を通して、改めて認識させられた。  


Posted by T主 at 23:46Comments(0)ハンティング

2006年09月08日

猟について

 狩猟と出会い鳥や鹿を捕まえること(殺してしまうこと)が現実味を帯びてくると、やはり葛藤があります。今まで見るだけの存在だったものを殺せるだろうか。魚釣りで魚は平気で死なせてしまえるのに、何故か鳥や鹿には抵抗を感じます。考えてみれば不思議な話です。同じ命あるものなのに。結局は環境や慣れの問題なのだろうか。

 しかも、我々人間は生きてゆくために、大量の家畜や魚介類の命を奪ってます。実際に奪うのは、ハンターであったり漁師であったり、それ専門の職業の方であって、家庭に巡ってくる頃には、ただの肉片と化した状態で、しかもパック詰めで店頭に並びます。そこには動物の命を奪い、それを喰らい生きている人間の姿など、微塵も感じないわけです。

 大切なことは何なのか? やはり猟をすることと、食べることは表裏一体でなければならない。食べずに殺めるだけでは、自分自身の納得がいかないような気がする。当然、子供達にも何故自分は猟をするのか、そして人間が生きていくための、他動物の命を奪う行為を、きちんと教えていく必要があるだろう。味付けが嫌いだから残す…そんな食卓での1コマも、子供達から消えるきっかけにでもなれば、さらによいだろう。

 猟に携わることによって、そんな生命の営みを、きちんと子供に伝えたいと思うのは、アマちゃんハンターなのだろうか…。本当に残酷なのは、食べ残すことなんじゃないかな?自然の恩恵に感謝できるハンターというのもありだと思うし、教本などにもそのことはテキストで触れられている。

 何も知らずに、ただ「お前は残酷な奴」という烙印を押す輩もいるだろうが、俺はそんな奴らはかまわないでおこうと思う。何も知らないことの方がどんなに残酷な奴であろうか…と思うからである。
  


Posted by T主 at 13:05Comments(0)ハンティング